昭和五十六年一月十五日 朝の御理解


御理解第八節
「子供の中にくずの子があれば、それがかわいいのが親の心じゃ。不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。」


 運命に幸をする人。その運命に苛まれて苦しい一生を終わっていく人さまざまです。教祖様は信心しておかげを受けてくれよとおっしゃるところから分からせて頂く事は、例えばどういう難儀な苦しい運命の下にある人でも信心しておかげを受けてくれよとおっしゃるのですから、運命というものは、その人の心次第信心次第では変えていく事が出来るという事が、あんに考えられますね。
 こりゃ私の運命だからと諦めている人、そういう人が屑の子という事になるのじゃないでしょうか。もうこりゃ私の運命だからというふうにね、もう諦め果ててる人。そういう人達に呼び掛けておられる。そうじゃないぞ、信心して新たな運命を切り開いていく事が出来るぞ、幸せにもなれるぞと、どうぞ信心しておかげを受けてくれよという、いうなら神様の切なる願いを、そこに聞く思いが致します。
 もういくら働いても、どうしても、もう運命だからと。あれは清水の次郎長だったでしょうかね。あの人は易学から言うたら早死にをする。家は相当裕福な家に生まれておったんだそうですけれども、そういうまあ財産も何も残して若死にをするという、まあ星の下に生まれておった。それを聞いて、もう兎に角長くも生きられんのなら太く、それこそ短くまあ昔の任客ですね、の守りになったと講談あたりは申します。
 ところがある時に、偉いお坊さんに会った時に、その話を聞いて、又はその話をして、あの運命が変えられるというような事を聞いて一心発起したと言われております。
 その偉いお坊さんが次郎長の顔を眺め乍ら、お前は大体は早死にをするはずだったのだけれども、どういう事からか、お前の運命が変わった。そしてその長生きでもでけるというふうに言われたんです。
 それがどういう事かと言うと、お前がその人助けをした事がある。それがお前の運命を変えたんだというふに言われて、言われてみると或る時身投げでもしようとする人を助けた事があったと。人の命を助ける事、そこから運命が変わったというように説明を受けたという話ですけれども。人を助けるというような事は、そういうような運命を変える事の出来るような働きがおこってくるかもしれませんね。
 兎に角自分が助かる、そして人も助かるというのが信心です。ですから、運命が変わっていくはずです。信心しておかげを受けてくれよと。
 昨日は研修の時に、十三日会の時に御用頂いておった女の先生方や男の先生方御用頂いておった人達が発表しとりませんでしたから、その発表をしてもらいました。中に古川先生が発表しとりましたが、あの人のくじは「運命を愛する」か、「運命を生かす事」という札を引いたと言うんですね。自分の運命を例えば愛する人。いうならば成り行きを尊び大切にするという事になるんじゃないでしょうか。それは運命を生かす事になる。
 今迄かつて自分の運命等という事を考えてみた事も無かった。けれどもこうやって合楽に御縁を頂いて信心を分からして頂く。そこには人が考えないようなものを感ずる。先ず第一に教祖様の血筋にあるという事を非常に、この頃考えると言うんです。
 それがね、合楽に御縁を頂いて、その考え方が非常に変わってきた。その話を聞きながら、本当に金光家御一門の方達の中にはそういう自分の、いうならば御先祖が教祖様であるという事で非常に重荷を感じて、してこの世を窮屈な、又は、本当の自分の運命を生かし得ずして、いうならば重荷、その運命が重すぎる感じでおられる人がいくらもありゃせんだろうかと、私はそれを聞きながら思った事なんですね。
 金光家につながりのある者だから、例えば仕事ひとつでも、いうならば自分の思うようには出けないといったような心があるらしいんです、やっぱり。
 それがね、威智雄さんの場合は、合楽に御縁を頂いたおかげで教祖様のお心が分かり、教祖様の教えが深く広く分からせて頂いて、その教祖様をお生かし申し上げる事がでけるのではなかろうかというふうに最近は思うという事を言っております。
 ほんなこて合楽に合楽に御縁頂いとったという事が素晴らしい事だったね、と言うた事でしたけどね。教祖様を血筋の上の御先祖に頂き、そして合楽に御縁を頂いた。その合楽によって教祖様の信心を、このように生き生きとありありと生かして下さる。そこで、だから自分の運命が新たに変わっていくだろうという意味の事でございます。
 だから金光家の中にも屑の子が沢山おられるのじゃないでしょうかね。その為に、いうならば重荷を感じるだけの中で、いうならば金光家の人達、教祖様が御先祖であるばっかりに自分の思う事も出来ないといったような方達もあるかもしれません。
 そこで教祖様のお心が分かり、天地の親神様の御信心をいよいよ深く広く合楽で分からせて頂く事によって、なら教祖様をもっと身近に、教祖様をもっとお生かし申し上げる事がでける。これからの自分の精進いかんによっては出来るようになるだろうという訳なんです。素晴らしい運命、星の下に生まれておっても、その素晴らしい星の下に生まれておる運命がかえって重荷になったり、又は、もうこりゃ自分の運命だから仕方がない。もう自分はいくら、どんなにばたばたした所で、そういう早死なら早死にする運命の下(もと)にあるのだからと、やけをおこして太く短くといったような考え方をするような、そういう人達を、ここでは屑の子というふうに、今日は頂いてもらいたいと思う。
 そこに信心の御縁を頂いて、どういう運命のもとにある人でも信心によって、信心しておかげを受けてくれよとおっしゃる。おかげを受けた時に、初めていわゆる運命を愛した事になり、その運命をいよいよ、それこそ御理解八節じゃないですけれども、広がりに広がる運命に切り換えてゆく事が出来る事じゃないでしょうか。
 運命を愛する。それを合楽では成り行きを有難く、しかも尊ぶ頂き方。そこには、いうなら自然を生かす事になる。神様をお生かし申し上げる事になる。だけではない、自分の運命をも生かす事が出来るようになるというのでございます。どうぞ。